2022年1月1日土曜日

謹賀新年2022年

あけましておめでとうございます。

結局、2021年のブログの記事は一つしかアップしないという過去最低の結果となってしまいました。(反省)なにもかも、コロナがいけないんです!(きっぱり)



2020年4月に筑波大学システム情報工学研究群博士後期課程に進学して、D1はPPI(Patient and Public Involvement)をひたすら研究して、D2のほとんどは価値共創(Value Co-creation)の研究とマーケティングと経営学の復習でした。

私の指導教官が英文の論文を読めというので、全体像の把握のためや日本のことを理解する以外はひたすら英語と格闘。

この時代でホントによかったと思うのは自動翻訳の精度が格段に上がっていることと無料で海外文献の多くを入手できることです。もし修士から修士にそのままのタイミングで進学していたらこんなに多くの情報を一気に簡単に入手できないです。それができる今って本当に幸せです。きっと当時だったら挫折してたでしょうし、もし頑張ったとしても社会を学んで、そして自分なりの答えをもっている今だからこその理解ができると思います。そう考えると回り道も悪くなかったのではないかと考えています。

とにかく今年はアウトプットの年にしたいです。

D1D2はこれまでのギャップを埋めてきたので、ようやく本当の意味で研究が始められる準備が整ってきたように思います。まだまだ苦労はすると思いますが、納得のいく研究ができるように頑張っていきます。

2020年6月23日火曜日

久々の投稿



昨年まで毎月必ず一つは投稿していたのですが、あまりに余裕がなさ過ぎてブログの更新ができていませんでした。

本年4月より筑波大学大学院 理工情報生命学術院 システム情報工学群 社会工学学位プログラム 博士後期課程に進学しました。
また、一般社団法人 日本医学ジャーナリスト協会 幹事、日本生命倫理学会「当事者・市民協働参画を考える」部会 幹事との掛け持ちで、何がなんだか・・・

さらにCOVID-19の影響で慣れないことも多すぎであっという間に今年も半年が過ぎようとしています。

歴史に残る変化の中で生きているんだなと感じています。

少し前からZoomを使ったイベントなど活動をはじめており、また少しずつブログも再開していこうと思います。

変わらぬご支援をいただけたらと思っています。どうぞ、よろしくお願いします。

2019年11月13日水曜日

国立ハンセン病資料館



まとまった時間があったので、以前から「行きたいな~」って思いつつも行けていなかった、東村山にある国立ハンセン病資料館へ出かけてきました。

日にちを選んだのは偶然だけど、きっかけは国会で「ハンセン病家族補償法案」が議論されるニュースを見たからです。これは行こうと思ったところに行かないといけないサインです。行ってよかったです。まさに今日衆院通過しました。まさか、狙ってないですよ。

とにかく、行って強く感じたのは、人間とは恐ろしい生きものということです。同じ人間なのに、見た目がよくないからってあそこまで忌み嫌うってどういうことなんでしょう。これって患者さんの周辺だけの問題ではなく、日本全体の歴史や政治、宗教と深く密接に関係しています。病気に対する無理解や偏見、治療薬ができたのは戦時中。

言葉にしつくせない、切なさ、やるせなさ、家族や友人。社会との断絶。どれだけの思いを抱えていきてきたのでしょう。それでも人は生きなければならない。

当事者の音声証言をひとつだけ聞きました。ほんとは全部聞いた方がいいけど、時間もなかったし、辛すぎて1つが限度でした。そして展示してある包帯や薬、その他の道具から叫び声が聞こえてくるようでした。

患者運動を応援している立場としては、彼らががんばってくれたからこそ今の医療があり、そして制度がある、ということを心していかなくてはならないと思いました。

ハンセン病は日本にも古くからあり、見た目の悪さから差別や偏見がありました。1907年(明治40年)の「癩予防に関する件」により隔離施策がとられ、療養所に収容されました。患者さんは外出を禁じられ、労働も強いられていました。また職員に従わないと処罰を受け、断種、堕胎も行われていました。プライバシーもなく、ただ生きているだけで、自由を奪われ、未来を奪われてしまった悲しい過去は忘れてはなりません。

その後第二次世界大戦後に治療薬が登場します。しかし国は積極的にハンセン病回復者を社会に戻そうとはせず、社会も彼らをうけいれないままでした。

1996年(平成8年)にようやく法律が廃止になり、2001年(平成13年)には国の対策の誤りを認める判決がでました。そのときの総理大臣は小泉純一郎です。一方回復者の高齢化は減少しています。

政策の問題点だけではなく、その時の歴史や日本の状況なども全てひっくるめて理解をすすめなくてはいけません。そして二度とこのようなことがないようにしてほしいと切にねがいます。



国立ハンセン病資料館
http://www.hansen-dis.jp/
私は清瀬駅からバスに10分くらいゆられました。多摩全生園の一角にあります。すぐ横には国立感染症センターハンセン病研究センターもあります。



緑豊かな静かな場所です。木の太さからかなり古くからの場所だと感じさせます。
近くに国立病院機構東京病院(東京医療センターではありません)があったり、救世軍清瀬病院があることから、政策医療であったことを物語っています。

入り口にはお遍路の恰好をした親子の像があります。ハンセン病回復者のなかには病気を知られずに迫害から家族を守るために遍路にならざるを得なかった人がいます。



中は撮影禁止なのですが、おいてあるものは隔離施策がなされていたときの様子をまざまざと見せつけられるものが数多くありました。

中を見た後は周囲をぐるっと歩いてみました。
















2019年11月4日月曜日

「患者と医療者の"協働できる”つきあいかた」 いまこそ、患者協働の医療を2019





「いまこそ、患者協働の医療の実現を!2019~患者と医療者の”協働できる”つきあい方」が11月3日、無事に終了しました。まずは講演者の方、スタッフを始め、かかわっていただけた皆様に感謝の意を伝えたいです。本当にありがとうございました。

AMCOP(患者協働の医療を推進する会)は2017年10月1日に実施した、「いまこそ、患者協働の医療の実現を!2017」からスタートしています。
https://tomocya-tomocya.blogspot.com/2017/11/blog-post.html



このときも総合司会を担当しました。「ともちゃん、司会やって!」とのぶさんとしゅくさんに頼まれたことからスタートしています。場所は慶応大学信濃キャンパスで行われました。このときは患者協働という言葉を世に出したときになります。

その後、今後について考えてみたときにまたやりたいねということで、AMCOPのコアメンバーがAMCOPを立ち上げました。私以外はなんらかの疾患を抱えて生活しているメンバーです。

第2回(2018年10月14日)は準備までは一緒にしていたのですが当日は別の仕事があってそちらが外せなかったため参加できませんでしたが、参加された方の中に何かを残せたようでした。
この時は東京大学本郷キャンパスで行われました。




3回目のイベント会場がなんとデジタルハリウッド大学!
毎年、会場探しに躍起になっているのですが、今回のご縁は私が手伝っている地域医療をしっかり勉強する会でお世話になっているNPO法人医桜の溝口さんが大学院に通っているため会場をお借りすることができました。

これは非常に有難い話。当初、これまでの2回も大学の会場をお借りして実施していたのですが、「えーーーAMCOPのゆるふわ集団が先端技術とかデジタルコンテンツをやってる大学の雰囲気と融合させられるのか?」と眩暈がしたのですが、うーんやるしかないと思ったことを覚えています。

私はイベントの趣旨にあわせて、雰囲気づくりやコンテンツ作成をしていくのが自分の仕事と思っているので、当日の総合司会はホントに神経をすり減らします。今回のハプニングは最初きいていた会場が急遽変更になったことです。広い部屋になってよかったのですが、レイアウト設定も全部その場でやらなければならない状況に陥りました。しかも今回は集合から受付開始まで30分しかないという大変な事態でした。しかしとてもいいチームワークで受付時間までにほぼセッティングができました。本当にみんなの底力でした。それぞれの責任感と連携に感動しました。みんなすごい!!



今回の患者と医療者の”協働できる”つきあいかたはいいテーマでした。
ひとつひとつに私はとても思うことがあるのですが、一番感じたのは患者がお行儀がよすぎるんじゃないかな、と思いました。

よく「患者が協働したいと思っていても医師の3分間診療では話できない」とか「時間をとって話をしても話がわからない」とか、色々いうひとが多くいます。ここの深堀の時間がもっと欲しかったのですが、なんとなく感じるのは壁はないのに壁があると思っているところにまず最初のつまずきがあるのではないかと私は思っています。

今回のシンポジウムの中で、FBの投稿をみていて、参加者の方から聞く大きな反応は、尾藤さんの「対立があるところには対話がある 対立のないところには支配がある」の部分が大きいようです。この支配というのは医療でいうパターナリズムを指します。

医師のパターナリズムは患者さんのために医術を用い誠心誠意をつくすということです。これはヒポクラテスの誓いを読むとわかるのですが、これは今も脈々と続いている医師の価値観です。しかしこの価値は治せる手段が限られているころはそれでもよかったのですが、現代のように選択肢が多く提示されているときに、「あなた(患者)のため」といわれても医師を信頼できなければ患者は迷うものです。

医師は科学者でもあるため「エビデンスがー」「数値データがー」「余命ー」って患者に平気でいいます。しかしその言葉は患者にとって呪いの呪文にしか聞こえません。患者は患者の価値観があり、生活があります。そのときに医師に呪いの呪文をかけられると一気に不安になるのです。不安な感情は陰性感情なので、患者の主訴となるものが解決されなければさらに医師を信頼できなくなってしまいます。これがドクターショッピングしてしまう患者の行動心理です。

当然ながら医師のことを信頼できればドクターショッピングもしないのですが、なかなか医師と患者が信頼関係を構築するのは難しい。

自分の健康や人生は自分のもの。自らのものにするためには自分を明らかにする必要があります。その方法が他者との対話です。対話があるところには対立がある。つまり自分と他者を分離すること。それがお互いをわかりあうための対立です。自分と他人なのでわかりあえないのは当然で、分かり合えないことをわかりあうための対立です。

医師は「医師であるべき」、患者は「患者であるべき」という鎧をすてて、対立はすべきなのです。医師は患者ではないし、患者も医師ではない。互いに対等なポジションで対話をしなければ自らの人生を手にできないのです。

その壁のひとつとして医師と患者の間の知識勾配とか権威勾配とかがあります。患者の役割意識から権威勾配を生み出してしまいます。そういったものがある下になっている患者は対立に恐怖を感じます。

そういった壁を突破するためにのぶさんは「自分の価値観を紙に書いて医師に渡している。」といいました。この話のときに尾藤さんが自分の研究でツールとして使えるもの質問紙を開発したそうなので、それを使ってみるのもいいと思います。しかしツールを使えば信頼関係が構築できるのかというとそういうわけでもないと思います。

なぜならば、人の信頼というものはそんなに単純なものではないからです。人の期待や意思が言語化されたものとそうではないものはあるため、受け取り側は言語化されたものでしか判断がつかないからです。言語されていないものを勝手に解釈しようとするとそれが的外れな場合も多くあります。(あなたはぜんぜんわかってないって言われるパターン)

患者の意思を言語化するためのツールのひとつを尾藤さんは開発したということになります。そしてそのツールをどうやって使うかは患者と医師の関係性でさらに変わってきます。ツールも複数使うことで患者が望む医療を医師が提供し、患者がそれを受け取れるようになるのです。

尾藤さんは「信頼できる医師をもとめない」ことが大事といいます。この真意は、患者はどうしても自分の命に係わることなので信頼をしすぎる傾向にあります。信頼ができるということは安心の状態になることです。しかし、安心というのは思考停止状態です。思考停止になってしまっては、自分の命は自分の責任であることを忘れ、生命与奪権を与えてしまうことになります。(この話はEnd of Lifeの話にもかかるので今回はこのくらいでとめておきます)

患者は思考停止に陥らない医師との関係性を構築したいものです。

2019年10月17日木曜日

公立福生病院透析中止事件がとうとう司法まで



提訴報告集会に参加してきました。
本当にこの事件は最初からもやっとしています。

先日もブログに書きました。
セミナー「人工透析の中止問題を考える -福生病院の事例を軸に-」に行ってきた
https://tomocya-tomocya.blogspot.com/2019/07/

この裁判の原告は患者の夫と次男です。しかしその二人の姿はありませんでした。
この場にいたのは裁判の支援者と弁護士たちです。

これをどの立場、視点で考えるかで全く異なる様相をみせます。患者の視点、医療者の視点、社会保障費の視点、障害者の視点等々・・・

人は死ぬ権利を持たないのでしょうか。また本人の意思とはいったいなんでしょうか。ずっと答えが探せずにいます。
患者はいつまで弱い立場のままなんでしょうか。なぜ自分の気持ちを話ができない?
本当になぜなぜになっています。

まず、裁判についてですが原告提訴の理由が、「なぜ医師は本人が『こんなに苦しいなら(透析離脱を)撤回する』といったのに再開しなかった理由が知りたい」ということです。

この会の司会をしていたのが公立福生病院事件を考える連絡会の川見公子さんでした。
この方をネットで調べてみると臓器移植法を問い直す市民ネットワークの事務局長のようです。脳死は死ではないという立場の方のようです。

弁護士から訴状の説明があり、その後原告からのメッセージ紹介、透析患者さんからのアピール、国会議員(木村英子、川田龍平、阿部知子)からのメッセージ紹介、質疑応答でした。

ここで聞かれる話は、医師は死を持ち出してはならない、患者は生き続ける権利があるということです。そしてその攻撃の対象となるのが常に医師のコミュニケーション。

こういう場所でいくら社会保障費の話をしても命の選別、人権の話になってしまいます。そして医学的な適応がどうだったかなどに始終してしまいます。カテーテルを使えば透析はできるとか、セデーションは回避できたとか。

まだまだ考え続けていきますが、このままだとぐるぐるがとまらないのでこの辺にしておきます。

2019年8月7日水曜日

Maker Faire Tokyo2019に行ってきたよ!


Maker Faire Kyotoに引き続き、Maker Faire TokyoTokyoにも参加してきました。
薬歴フェスもあったのでほんとに2時間くらいしか入れませんでしたが楽しんできました。

今回、どうしても会いたかった人がいます。それはダカラコソクリエイトの谷島さんです。この方はがんのサバイバーで、病気の体験を新しい価値へと変える活動をしています。その中でめでぃかるガチャガチャを今回出展していました。これはがん経験者や医療者がお世話になった医療機器を、思い出やエピソードとともに3Dプリンターを使ってミニュチュアキーホルダーにし、ガチャガチャで販売しています!

私のこれまでの活動で知り合った共通の友達も多く、FBを見ていたら谷島さんに会いにいっていました。こういう視点いいですよね。社会貢献とものづくりの組み合わせ。

あと、こんなものを見つけました。手動の計算機です。昔使われていたものが展示されていました。ほんとに計算できるんですよ! TVで見たことはあったのですが、本物は初めてです。個人的にはかなり感動しました。



私はホントにどうでもいいものも好きだったりします。「かみの掲示」、神の啓示とかけてますね。これは環境音を劣悪な状況で音声認識すると誤認識するということを利用して、突然降ってくる言葉を印刷したもの。いやいや、本当に神の啓示なのかもしれません。


そのとなりにあったもっとどうでもいいもの。ハンコを押すと押した時間と押した人が上司のスマホに飛ぶという。「ハンコ押したよね。何に押したの?」と聞くためだけのシステム。もう、ハンコ社会やめません? こういうの非常に好きです。


他にも会場には面白いものが沢山あったのですが、ゆっくり見ている時間がなかったのが本当に残念です。でも十分雰囲気を楽しみました。会場は多くの人が来ていました。これは入り口の様子です。開始間もない時間でしたが、すでにこんなに並んでいました。


Tsukuba Mini Maker FaireFaireのことも書かなければなりませんね。
私は日曜は参加できませんでしたが、つくば市長がTMMFの告知をし、出展者募集開始を宣言しました。下記の動画はつくば市長が踊って登場!見たかった!

出展者だけでなく、スポンサーになってくれる方、もちろん当日お客さんとして参加してくださる方大歓迎です♡ これらの情報のシェアも大歓迎♪


出展者募集に関するプレスリリース



薬歴って薬剤師の戦いの歴史と薬剤師と患者の履歴だったんだー


去る8月3日、4日は「薬歴フェス~薬歴(やくれき)で患者との対話を見直そう」でした。今回も例に漏れず完全に巻き込まれました。はい。

そもそも薬歴って何?というところなんですが、私は薬歴の書き方やツールは正直、全く興味ありません。それはつまり、医師が書く患者の診療履歴がカルテであり、薬剤師が書く患者との服薬指導歴が薬歴だからです。また看護師も同様に看護記録を書きます。そう考えると医療職ではない私が記載内容について興味を持つものではないことは全く不思議ではないと思います。それでもこの企画に加わった理由は、薬剤師と患者のかかわりを変えていく必要を感じているからです。

薬歴の法的根拠は現在ありません。正確にいうと確認事項に関する法的義務はありますが、記録と記録の保管に関しては存在していません。調剤録(調剤した記録)は法的根拠と共に義務も生じます。薬歴に根拠があるとしたら薬剤服用歴管理指導料を算定のエビデンスとです。そうなると保険診療をする以上は薬歴は書かなくてはなりません。

これが薬剤師法の改定で、調剤時には、情報提供に加えて必要な薬学的知見に基づく指導義務になりました。言った、言わないのトラブル回避のためにも記録は残しておくべきと2日目講演の中外合同法律事務所赤羽根弁護士は話しています。講演の中でも現在審議中の改定薬機法が国会を通ったら薬歴の法的根拠がでてくるかもしれないとの話もありました。

そのような薬歴ですが、そもそも診療報酬の算定のために記録を残すというのは薬剤師としてどのように患者と向き合っていくかという話とは遠くなります。

それを紐解くのが医薬分業の歴史において江戸時代や明治維新以降の薬剤師と医師との関係を探っていかなくてはなりません。その象徴となるのが芝八事件です。

我が国の医師の始まりは薬師(くすし)とも呼ばれ、薬を出すこと(処方)が仕事でした。彼らの収入源は薬を売ることであったため、医療は医師と患者の知識勾配が極めて高く、患者はそれに従うしかありませんでした。そのため医師がお金儲けに走ることもあり、患者にとって不必要な薬を買わされるということもありました。そうならないためにも薬の専門家の介在が必要であるということで明治7年に医政がひかれ、このとき医薬分業がスタートしました。しかしこのとき処方権を医師が手放さないということもあり、なかなか医薬分業はすすみませんでした。ちなみに欧米ではもともと医師と薬剤師は分かれており、医薬分業という概念はありません。そこから医師会と薬剤師会との医薬分業をめぐっての戦いの歴史がいまだ続いているといっても過言ではないでしょう。

その代表的な事件が芝八事件なのです。これを細かく話をすると大変なことになるのでご興味のある方は前夜祭スピーカーであるNPO法人医桜の溝口博重さんのお話をぜひ聞いてください。

この話を聞いて思ったのは患者の健康な生活を守るために薬剤師は存在しており、本当だったらもっと医師と戦っていなければならないはずが、医薬分業が診療報酬上でメリットが出るようになってからどうも処方箋を流してもらう関係に甘んじているようにしかおもえなくて仕方ありません。

先ほどの法的根拠の話も絡めて考えると、このままだと保険診療に依存しているだけの存在と言われても仕方なくなってしまいます。それは患者の声が「薬剤師さんって何してくるれる人なの?」「お薬を処方箋と引き換えにだすだけでしょ」という声があちこちで聞かれるからです。

だからこそ薬剤師が薬学的見地から患者にとって本当に必要な薬物治療が何か、そのために患者とどのような対話をして副作用を最小限に効果を最大にする方法を患者とともに考えていくべきなのです。その記録が薬歴であるべきと私は考えます。

溝口さんの講演の中でも「欧米でも医師に薬の事をまかせるとろくなことがないと思われているから医薬分業なんていわなくても、それぞれの専門性で仕事をしている」と話していました。

今回は患者協働の医療を推進する会(AMCOP)の桜井さんにもご登壇いただきました。彼はHIV陽性患者の当事者であり医療コミュニケーションについても研究をしています。その彼の言葉で印象的だったのが、「患者の立場からすると、処方されている薬があきらかにHIVの薬で使われている医療制度だってわかるはずなのに、ピントのずれたことをすすめてくることがある。過去のやりとりを薬歴に書かれていればそんなことはないはず」当事者の話は説得力があります。薬歴を他の業界でいうと顧客カードと考えればサービス提供者としての対応が変わるのは当然ですよね。そんなことからも薬剤師が何をすべきか、それをどう履歴に残すかということは課題が残っているということになります。

どんぐり未来塾の佐藤ユリさんの話は副作用を薬学的見地から考え、服薬指導に生かすということをお話いただきました。患者も重篤な副作用がでるまえにきちんと説明してもらえば出始めにきづくことができます。

病院とまちの調剤薬局とどのような情報をやりとりするべきかを総合相模更生病院の病院薬剤師江口真由さんにお話いただきました。

薬歴ベンダーであるKAKEHASHIの中尾さん、グッドサイクルシステムズの遠藤さんからも薬歴に対するそれぞれの思いを語っていただきました。どちらも薬剤師が患者さんと向き合うためのサービスの一つが薬歴システムであるというもとにシステム開発をしています。こういった議論の場に出てきていただいて感謝です。

シンポでは杏林大学薬剤部の若林進さんにはお世話になりました。

前夜祭に出展いただきました、大洋製薬株式会社、株式会社MOTIMA、株式会社グッドサイクルシステム、株式会社カケハシの方々、ご協力ありがとうございました。

何よりも企画者を本当に支えてくださっていたのは実務薬学総合研究所のみなさんです。彼らの支えがなければこの会は成立しませんでした。細かい配慮をくださいましてありがとうございました。

また当日参加者として来ていただいた方にも本当に感謝です。ぜひこの話を広げていってほしいと考えています。