2016年12月18日日曜日

「看取る」ということについて


12月17日にみんくるカフェ「看取る」ということについてに参加してきました。
本郷3丁目にある金魚カフェが会場です。ちょっと気になっていた場所でした。私自身が金魚が好きというより、金魚のお店ってどんなとこだろうという興味です。カフェはアンティークな感じでなかなかよかったです。

人類学者の鈴木勝己さんのタイのエイズホスピスの話はとても興味深かったです。
日本では看取りというと、周りに人がいてお別れをするというイメージなのですが、タイは死にゆく人と現世を生きる人との交わりをよしと考えないという話を聞き、死に対する価値観の違いがあるのだなと思いました。

そもそもいい死とは何か。みんなで共通していたのは「穏やかな死がいいよね」ということですが、穏やかという定義も思い浮かぶ状況もグループの人みんなバラバラでした。

私はやっぱり「死を見つめることは生を見つめること」だと思います。
死に方は生き方であり、生きている時の考え方がそのまま死に対する考え方と直結するし、周囲との関係の中で自分が存在しこの世を去るまで関係の中で生きている。

自分がいくらいい死に方をしたと思っても、周囲はいい死に方をしたと思うとは限らないし、その逆もあり得る。お互い一致した思いで死ぬということはないと改めて思いました。生きている時も同じですよね。


看取りという言葉は周囲のものであり、あの世へ旅立つ人と現世の人がするさよならの仕方ということなんだなと思いました。



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